「たかが恋、されど愛」—『南瓜とマヨネーズ』
ツチダ(臼田あさ美)は、ライブハウスで働く傍ら、キャバクラでも働く。
年齢のサバを読み、気持ちの悪い客から脚や胸を触られ、後輩からは「すぐに辞める」と悪態をつかれながらも必死に働く。さらには、店の客と愛人関係も結ぶ。
全てはお金のため。そのお金は、同棲する彼氏せいいち(太賀)を音楽活動を支えるためだ。
一方のせいいちは、無職で日がな一日家で過ごし、愛着のある楽器を売ろうとしてはそのお金で収入を得た気になっており、なかなか音楽活動をしている様子が見られない。それでも、かつてボーカルを務めていたバンドの仲間たちから、もう一度バンドに戻ってこないかと懇願され、その歌声は音楽プロデューサーからも一目置かれている様子だ。
しかし、せいいちはその類稀な才能が認められ、再三の誘いも商業的なバンドに価値はないと憎まれ口を叩いて一蹴する始末。
ツチダが身を粉にしてお金を稼ぎ、かつてのバンド仲間はせいいちの復活を熱望する。
果たして、その歌声は聴けるのだろうか。
※これ以降は物語の結末に触れています。
結論から言えば、その歌声は聴ける。
ツチダとせいいちが別れたあとに聴ける。
『南瓜とマヨネーズ』は、「恋」に恋をした女性の紛れもない愛の物語である。
自分が愛する恋人とその歌声に身を焦がれ、時に過去の恋人に気持ちが揺らぎ、
傷つきながら懸命に手に入れようとした、「愛」の物語だ。
ここでいう「愛」とは、せいいちの「歌声」だが、
奇しくもツチダは、自分が一番そばにいるときにその「愛」を受け取ることができない。
ツチダは、せいいちと別れた後にその歌声を受け取ることになる。
自分がどれだけ努力しても、どれだけ傷ついても
聴くことができなかった歌声を聴いたとき、ツチダはどんな顔をするのだろう。
ツチダは涙を流しながら、その歌声を聴く。
しかし、その顔は笑っている。
果たしてその涙は、悔し涙なのか、それとも嬉し涙なのか。
そのなんとでも取れる様々な感情がこもった涙と、せいいちの透き通った声に
思わずもらい泣きしてしまう。
たかが恋、されど愛。
おそらく、臼田あさ美の涙をあと半年は忘れないだろう。
ぜひ、上田映劇にて。
上映時間はこちら→上田映劇-トップページ
今週末、金曜日までです。