時代に埋もれる前に―『三里塚のイカロス』
「成田空港のその下に “あの時代”が 埋まっている」
これは、映画『三里塚のイカロス』のポスターやチラシの表面に大きく書かれているキャッチコピーです。
僕は、この映画を観るまで「三里塚闘争」について知りませんでした。
さらに、成田空港という羽田と並んで、日本の国際便の二大窓口である巨大な空港が三里塚という地区にあることすら知りませんでした。
このことは、自分の不勉強を棚に上げていうと「三里塚闘争」という政治運動が今の自分に近い年代の人々からは、過去の出来事と忘れさられようとしている現実なのかもしれません。
代島治彦監督の『三里塚のイカロス』は、成田空港建設に伴い、その地に住む農民たちとともに国家と闘った若者たちの人生を描いた作品です。
農家が農地を奪われる。「三里塚闘争」の渦中にいる、当事者たちの気持ちはよくわかります。誰だって、自分の家や職場が、不条理に奪われていくことに怒りを 覚えない人はいないでしょう。
しかし、今作で登場する人物たちは、空港建設によって農地が奪われる当事者ではなく、そことは全く関係のないところから集まり、空港建設に声を上げた人たちです。
死人を出すところ加熱していくその闘争。
そのエネルギーは、果たしてどこから生まれてくるのか。
僕がこの作品を観始めて、まず感じたことです。
映画はとても親切な作りになっています。
運動に参加した当時の若者たちが、その様子を語っていく。
その様子を時系列に追って配置してくれるおかげで、どのように運動が進んでいったか、当時の様子を知らない人でも、その全容をつかめる作りになっています。
当時を語るその様子が、だんだんと熱を帯びていく様は、まるでその当時の運動が日に日に熾烈なものになっていくことを物語っているようです。
当時を知る者にしか語ることのできない歴史。
そして個人個人に刻まれた歴史も、少しずつ浮き彫りになっていきます。
かつて青春時代を情熱を注いだ活動を嬉々として語る方や、当時を憂いている方まで、人の数だけ「三里塚闘争」があります。
映画にも必ず「旬」があり、作られる意味があります。
今作に登場する人物たち同様、当時の様子を知る人も高齢化が進みだんだんと少なくなっていく。
当時を知る人が少なくなっていく節目だからこそ、その時代を知るきっかけにもなります。“時代”に埋もれる前に、その時代を知るのに映画は打ってつけかもしれません。
『三里塚のイカロス』
〔2017/138分/ビスタ〕
製作・監督・編集:代島治彦
撮影:加藤孝信 音楽:大友良英
配給:ムヴィオラ、スコブル工房